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まえがき

本書で用いられている専門用語

  • []サッラッラーフ・アライヒ・ワサッラム:一般に、預言者ムハンマドの名が言及される時に用いられる、彼に対する祈願の言葉です。時に「彼に平安あれ」と訳されますが、これは正確なものではありません。より忠実に訳すとすれば、「アッラーが彼の誉れを称揚され、彼と彼の系譜をあらゆる中傷や汚名からお守り下さい」というところでしょう。
  • []ラディヤッラーフ・アンフ:「アッラーが彼をお悦びになられますよう。」一般に、預言者ムハンマドの教友への祈願の言葉として用いられます。
  • [u]アライヒッサラーム:「彼に平安あれ。」一般に、預言者や使徒などに対する祈願の言葉として用いられます。
  • [I]スブハーナフ・ワ・タアーラー:「いかなる不完全性からも無縁で崇高であり、至高であられるお方。」アッラーを讃える言葉の一つです。

この本では、以下に示される疑問と問題点が議論されます:

歴史的に見た女性の地位:イスラーム以前のアラブ社会における女性;インド社会;中国社会;ギリシャ社会;ローマ社会;伝統的ユダヤ社会;伝統的キリスト教社会;そして現代世俗社会。

イスラームにおける男女同権:基本的人権;義務の適用において;現世と来世における報奨と懲罰において;財産の所有とその使用の自由において;名誉の保持において;義務教育において;そして社会改革への責任において。

ムスリム社会における女性の地位と権利:乳児として;子供・少女として;姉妹として;妻として;母として;親類、隣人、そして一般女性として。

イスラームにおける女性の権利と義務への誤解、及びそれに対する反論:一夫多妻に関して;指導力と責任に関して;婚姻契約と後見人に関して;妻としてのしつけに関して;名誉殺人に関して;離婚に関して;証言に関して;相続に関して;血の代償金に関して;就職に関して;そしてヒジャーブ(頭部の覆い)に関して。

至高者アッラーにこそ全ての賞賛あれ。そしてかれがその使徒ムハンマドと彼の御家族を称揚され、彼らをあらゆる悪からお護り下さいますよう。

私は、イスラームにおける女性の地位、及び女性の権利に関する新しい情報の提示についての困難さを鑑み、この問題に関する既出の情報を収集・整理し、要約したものを読者の皆様のために提示しようと試みました。至高なるアッラーが私を導き、この目標に到達することが出来ることを望んでいます。

女性に対する犯罪と抑圧をイスラームと結びつけることは大いなる不正であり、アッラーによる啓示の書であるクルアーン、そして預言者ムハンマド (r) の教えによってそういった虚偽の主張は否定されています。至高なるアッラーはこう仰せられています:

(人類よ、われらは一人の男と一人の女から汝らを創造し、種族と部族とに分けた。これは汝らを、互いに知り合うようにさせるためである。アッラーの御許で最も高貴なる者は、汝らの中最も主を畏れる者である。アッラーこそは全知者であり、すべてを見透す御方である。)[49:13]

また至高なるアッラーはこうも仰せられています:

(またかれが汝らの中から、汝らのために配偶を設けられたのは、かれの徴の一つである。汝らは彼女らによって安らぎを得るようにされ、汝らの間に愛情と慈悲の念を植え付けられる。その中にこそは、思慮深い者たちへの徴がある。) [30:21]

また預言者ムハンマドは述べられています:

“実に女性は、男性の片割れなのである。”[アブー・ダーウード 234番、ティルミズィー 113番、その他による伝承]

序説

今日、女性の自由化や解放運動、同権運動など多くのスローガンが世界中で耳にされるようになっています。現実に一部社会において女性たちは抑圧や虐待、不正の下に暮らしており、その基本的人権さえも奪われています。このような中、イスラーム法は女性の権利に関し、人権と義務の双方において包括的かつバランスの取れたシステムを提唱していますが、一部のムスリム(イスラーム教徒)が、基本的なイスラーム教義と信条から逸脱していることも事実です。そして国際的な女性解放運動などによって喧伝されているスローガンに着目すると、三つの要素を中心に回転していることが分かります。それらは女性の解放、そして男性の権利と女性の権利の平等です。私たちは一部の無知で逸脱したムスリムの誤った実践とは別に、それらをイスラームの教えに基づく、イスラーム法に照らし合わせた観点から分析していこうと思います。

まず“解放”という言葉は、女性に対する手かせ足かせ、または束縛といったような何らかの拘束の存在と、女性たちが隷属的地位にあるため、解放の必要性があるということを仄めかしています。実際には男女に関わりなく、完全なる自由というものは不可能であり、それは抽象的かつ誤解の生じる表現です。人類とは本来その能力に制限があるため、社会的な集団生活が必要になります。男女は共に、様々な日常生活の諸事を管理し体系付ける一定の法と規則に基づいた社会的環境に住まなければならないのです。

それは、人間が自分自身の行いに関して自由かつ独立した存在ではないことを意味するのでしょうか?それとも人は自分自身の行いに対していかなる責任も持たないということでしょうか?能力的限界と法的規制に縛られない人間というものは存在するでしょうか?彼らが奴隷であれば、その質問は「一体誰から?」というものに変わるでしょう。いわゆる自由と解放にはいかなるものであれ先天的なもの、そして法的なものによる限界があり、それを超えてしまえば、誰もが性悪かつ野蛮で、犯罪行為であると認めるような破滅的行為につながります。イスラーム法において偶像崇拝、圧政、搾取、不正からの自由と解放の探求は、男女共に認められています。神によって啓示された原理と法は、厳格な一神教、正義、そして高潔な倫理を説き、主張します。この枠組みの中で、男性と女性は相互依存と補足的な役割を果たします。イスラーム法は女性に対し、社会における多くの状況の中で、後見人を伴うことなく、直接的に関与することを許可しています。イスラームでは女性が公的な責任を有し、経済的・社会的分野や、またそれ以外の分野においても、他の多くの社会の女性と同様に諸々の任務を遂行することが可能であるとしています。彼女の父親、兄弟、叔父や夫などの男性近親者は、彼女の生涯に渡ってその名誉を守り、経済的支援をし、適切な生活環境を彼らの能力に応じて提供することが義務となります。これは彼女の品位を落すものでしょうか、それとも上げるものでしょうか?イスラームは男女同様に公の場で猥らな行為を禁じていますが、それは自然な理由によって、それぞれの性別に異なった解釈が与えられています。私的な場では誰しも徳を守らなければならず、公的な場では自らを守らなければなりません。イスラーム法は女性を脅迫や痴漢などから守り、いかなる男女も他者に対して性的挑発や誘惑的行為を行わないよう命じています。こうした理由により、イスラーム法は女性の保護の為に、外出の際に謙虚な衣服を見に付けることを求め、異性との自由な交流やスキンシップを禁じるのです。

イスラームは、個人がその行為によって他者への害悪、または社会への破壊的結果をもたらすことのないよう、その自由と解放の概念を説きます。これは次のアッラーの使徒 (r) からの真性の伝承による言葉をもって鮮やかに表現されています:

“アッラーの法を守る者とそうでない者とを比べると、それらは一隻の船に乗り込み、お互いの場所を分割した二つの集団のようである。一方の集団は船の上部にある甲板を彼らの場としたが、他方の集団は船の下部を彼らの場とした。下部にいる人々が水を欲する時には、上部の甲板にいる人々の場所を通らなければならない。下部にいる人々はこう考えた:“もし我々がこの部分に穴を開ければ、上部にいる人々を邪魔することなく水を手に入れることが出来るのではないか。”そして、もし上部の人々が彼らの計画の実行を許せば、船に乗っている人々は全滅に追いやられるが、彼らの計画を禁じるのであれば、皆が助かるのである。”[ブハーリー 2361番 その他]

また有名なドイツ人思想家・哲学者のショーペンハウアーはこう語っています:

“女性に対し、完全かつ絶対的な自由と解放を一年間のみ与えてみるとしよう。そしてその後、その自由がどういった結果をもたらしたかを私と共に確認しようではないか。あなたは(皆)私と共に、徳と貞節、そして善き倫理を受け継ぐことを忘れてはならない。もし私が(その前に)死ねば、あなたは“彼は間違っていた”、あるいは“彼は真実を語ったのだ”と言うことが出来る。”

米国人女性リポーターのヘレスィアン・スタンベリーは250以上の通信社と関わり、報道・放送の分野で20年以上に渡り活躍し続けました。彼女は数々のイスラーム国家を訪れ、あるイスラーム国家の訪問後、このように語っています:

“アラブ・イスラーム社会は健全・健康な環境にあります。男女に対し、合理的な範囲内で規制するある種の伝統を、この社会はこれからも保護していかなければならなりません。この社会はヨーロッパ・アメリカ社会とは明らかに異なっています。アラブ・イスラーム社会は女性に対し一定の規則と制限を課し、両親へ特別な敬意と地位を与える独自の伝統を持っているのです・・・まず第一に、最も厳しい規則と制限は、欧米社会の家族を本物の危機に陥れている、性的自由に対して課せられています。それゆえアラブ・イスラーム社会によって課せられている制限は合理的かつ有益なものです。私はあなた方が自らの倫理規定に従うことを強く勧めます。男女共学を禁じ、女性の自由を制限、いえ、完全な‘プルダ’(覆い)の実践に回帰すべきです。本当にこれはあなた方にとって欧米の性的自由に優るものなのです。男女共学を禁じるのは、私たちがアメリカでそれによる害悪を蒙っているからです。アメリカ社会は性的自由において、あらゆる形や表現を受け入れた複雑なものになってしまいました。性的自由と男女共学の犠牲者は牢獄、道端、バー、居酒屋や売春宿を満たしています。私たちが少女や娘たちに与えた(偽りの)自由は、彼女らを麻薬、犯罪の手に染めさせ、そして彼女らは白人奴隷となってしまっているのです。欧米社会における男女共学や性的自由に代表される、あらゆる種類の“自由”は、家族の基盤を脅かし、道徳と倫理観を揺るがすものなのです。”

女性解放の提唱者に向けられる質問は、自ずとこうなるでしょう:何が女性の名誉・尊厳・保護に関して最善かつ最も有益で、最も保護をもたらすシステムなのでしょうか?